「はだしのゲン」誕生物語 前編
edited by ShitB
「はだしのゲン」が誕生して30年。
特別企画のキャラバンの応募者が3名しかいなかろうが、
「これを祝わずして、なにがゲンプロか!」という気持ちでいっぱいです。
以前 、これが「はだしのゲン」誕生の瞬間だっ!というトピックもありましたが、
今回から 前・後編にわたって、この世に「はだしのゲン」が生まれるに至る
ディープな部分にスポットを注ぐことにします。
そもそも、事の発端は1972年10月、『月刊少年ジャンプ』で「各漫画家の自叙伝を描く」
という企画が決まり、一番バッターとして中沢さんが選ばれます。

中沢さんは「自叙伝なんて恥ずかしい」と断ったそうですが
当時お世話になっていた、N編集長の勧めもあり、
『おれは見た』という作品を描きます。
これを読んだN編集長、「読みきりではすべては言い足らないだろう、「週刊」の方で、これを下地に、長期連載をしよう!」とのアドバイスがきっかけとなり、翌年1973年、
「はだしのゲン」が誕生することになります…!
今回は この「はだしのゲン」の原形ともいえる
『おれは見た』を誌上ダイナミックにプレビュー!
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昭和20年、啓治は当時、小学一年生です 。(ゲンは二年生)
ちなみにこの自伝はすべて実名で描かれています。
晴海(父) キミヨ(母) 康人(長男) 英子(長女)
昭次(次男) 啓治(三男) 進(四男)となります。
航空隊に志願はしてはいなかったようです。
8月6日、学校の塀1枚で助かった啓治、実際は頬に五寸釘が…。
(中沢さんの頬には、この傷跡が現在もまだ、のこっています)
半狂乱の母を助けに来たのは、近所に住む阪本さんでした。
8月6日に生まれた啓治の妹、友子は
原作とは違い、 わずか四ヶ月の命でした
ゲンのようにはげ頭には、ならなかったものの、いじめはあったようです。
鍛え方は違います。
漫画に没頭した啓治は看板屋に就職します。
やはり看板屋の親方は軍隊あがりです。
啓治22歳、漫画家を目指して上京。
27歳、結婚。そんな矢先に…
ハハ シスの知らせが…!
原爆の放射能はおふくろの骨まで、くいつぶしやがったのか!
原爆漫画家、中沢啓治の誕生です。
と、ここで物語を締めくくっていますが…
鍛え方は違います。
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「はだしのゲン」の原形…もともとを正せば、 中沢さんが原爆漫画を描く、
その根幹は原爆そのものです。中沢さん自身がいう「わたしの狂わされた人生の出発点」
いったいそこは どこなのでしょうか…?
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